映画、ときどき人生。

作り手の意図や物語の構造から映画を眺めたい人の記録。

【ドラゴンクエスト ユア・ストーリー】作家性×マーケット感覚 試論

勤め先ではたびたび「プロフェッショナルな働き方とは何か?」について言語化させるタイプの研修に参加させられ、自分なりの考えを述べさせられる。日々の業務に邁進しあるいは死にかけている僕ら一兵卒は大変奥ゆかしいので自分なりのプロフェッショナル像を述べるなんていうのは気恥ずかしい限りなのだけれど、往々にしてワークショップと呼ばれるビジネスパーソンを特異な精神状態に誘導するための儀式を通じて妙なテンションとともに何とか吐き出し、乗り越えている。

 

曰く、プロフェッショナルな働き方というものは、クライアントの期待を違えず、あるいは期待を超えて感動まで生み出しうる立ち振る舞いであるという。そんな神通力があったとは。日本もまだまだ捨てたものではない。

 

そんなプロフェッショナルな人々とは対極的な位置で輝いていると僕が勝手に思っているのは「アーティスト」と呼ばれる存在であり、無から有を生み出すある種の超能力者である。彼らは彼らに備わった感性と独自のロジックによって唯一性の高いアウトプットを生成する。

 

前置きが長くなったけれど、ここで考えたいのは、映画監督というのは上記のどちらに近い性質のものなのだろうか、ということだ。両立しないわけではないけれど、今のしくみの中では、自分の感性を生かしながら顧客の期待に応えるためには、たまたま方向性が揃っているという幸運に恵まれるか、あるいは方向が揃っていたと最初から感じていたかのように洗脳するか、いずれにせよワンステップが必要になる。

 

 

映画監督の場合になおさら厄介なのは、直接のクライアントが満足しても、その先にあるカスタマーに満足してもらえなければ意味がない、という点にある。

 

ここまでややこしくなると、クライアント側が映画監督当人の実績や作家性に期待して依頼をかけるしかない。そうなれば映画監督は自分の作家性を存分に発揮することを考える。しかしそこで、クライアントにも映画監督にもカスタマーへの理解、つまりマーケット感覚が備わっていなければ、誰も止められない暴走特急が誕生する。

 

ここでのマーケット感覚は、売れる、売れない以前のカスタマーに対する感度も含めている。何を求めているのか。何をされたらそっぽを向くのか、あるいは炎上するのか。

 

「感覚」とはいうものの生まれ持ってのセンスではない。人生においてどれだけ自分の感覚とカスタマー全体の感覚にズレがあるのかを意識したのか、あるいはカスタマーの像をどれだけ調査し、検証し、考え抜いたのかがモノを言う。

 

news.yahoo.co.jp

 

上記の記事を読むと、山崎監督はヒットにこだわる人物であるとのこと。

しかしその方法論が(いくつかのインタビュー記事を読む限りの印象にすぎないけれど)「映画作りという営為の範囲内」に閉じているのだとすると、また『ユア・ストーリー』で起きたのと同じような事態が発生しかねない。

 

今の世の中の流れは「データ活用」に大きく傾いているし、ビジネスパーソンの皆様も仕事で市場調査を行う機会は多々あるのではないだろうか。

 

もし映画の神様の気まぐれで、普通のビジネスパーソンが映画を作ることになってしまったら、仮説を立てて市場調査をすること、題材について深く学ぶことなどの行動は不可欠なものと考えるだろう。オリジナリティはその上で出すものであると。

 

しかし作家性を求められる職業に就いている人は、おそらく自分固有の付加価値を最大化することをまず考える。カスタマーに阿るのではなく、自分のクリエイティビティの方にカスタマーを引き寄せることを旨とする。

 

完全な推測だけれど、今はクライアント側も、監督に対して後者の期待を寄せて声をかけているのではないかと思う。一方で、これからの時代に必要なのは、やっぱりこれら二つのスタンスを両方操れる人材なのではないか。

 

マーケット感覚を備えたアーティスト。

クリエイティビティを備えたビジネスパーソン

 

書いてしまえばなんだそれはスーパーマンと感じられてしまうけれど、ベクトルは異なっていても厳密には完全に対立する概念というわけではない。

 

作家性を遺憾なく発揮する映画とマーケット感覚を大事にする映画を分けて考える。クライアント側もその二つのスタンスを理解した依頼を行う。

 

作家性というものがどれだけデリケートなものなのかはわからない。しかしそれはマーケット感覚を得たからといって損なわれるほど脆弱なものだとも考えにくい。むしろ、カスタマーの意表を(狙った通りに)突くためには、カスタマーを知らなければならないなど、工夫を加えるための助けになる部分の方が大きいのではないだろうか。

 

期待を裏切ることを過度に恐れては、期待を超えることはできない。期待に忠実に答えるだけではエポックメイキングな作品は生まれない。

 

だからチャレンジはどんどんなされるべきだし、オリジナリティ溢れる作品作りは大歓迎だ。

しかしそのプロセスで、カスタマーと真摯に向き合うことから逃げないでほしい。題材について深く学ぶ勇気を持ってほしい

 

きっとその程度のことで損なわれるような、ヤワな作家性ではないのだろうから。